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気どりながら話すあいつと穴のあいた靴下

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全国には、多くの祭事があるみたいだ。
実際に確認したことはないが、良く知っているお祭りは、秩父夜祭で、別名、冬祭りである。
立派な彫刻を施した、笠鉾と屋台の合計6基。
お祭り会館を観光したときに、写真や実物大の笠鉾と屋台を見せてもらった。
冬に開催されるので、冬祭りという別名でも呼ぶみたいだ。
リアルタイムで見たい祭事の一個でもある。
冬祭りとは反対に、夏にあるのは、箱崎のほうじょうやがあるが、すべての生き物の生命を奪う事を禁止する祭り。
大昔は、この祭りの開催されている間は、漁も禁止されたらしい。
長く続く祭事も重要だが、私は屋台のリンゴ飴も同じくらい大好きだ。

勢いで走る姉妹と擦り切れたミサンガ
太宰治の、斜陽は、絶え間なく読みたくなると思う。
戦時中は華族の娘だったかず子が、強くて引かない女になっていく。
読むにつれてかっこいいとさえ考えた自分。
これだけの、誰にも恐れない気の強さと、固い意志が戦後は必要だったのかもしれない。
彼女の都合は置いておいて、不倫相手の作家の奥さんからすると大迷惑だろうとも思う。
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無我夢中でお喋りする姉ちゃんと横殴りの雪

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本日の晩御飯は一家そろって外で食べる事になっているので、少年は期待に胸が高鳴っていた。
何を食べようかな、と出発前からいろいろと想像していた。
パスタやハンバーグ、もしかしてステーキも?などなど、メニュー一覧にはどんな料理があるのかも楽しみだった。
行くのは先日できたばっかりの和風レストランだ。
お父さんが運転してくれている車はじきに目的地に到着する。
お母さんは助手席でのんびり景色を見ている。
お姉さんは少年の横で、黙って座っている。
少年は車から降りると駆け出して、喜び勇んで入り口の扉を誰よりも先に開けた。

気どりながら踊る弟と公園の噴水
手に入れた布で、幼稚園に9月から通う娘のきんちゃく袋を縫わなくてはならない。
というか妻が縫うのだが、自分も縫い物が嫌いではないので、忙しそうだったら助っ人に入ろうと考えている。
指定のものをしまうものが園に通い始めるのに必要らしい。
ミシンもやっとのことで手に入った。
使った感じも試してみようと考えている。
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陽の見えない大安の午後は歩いてみる

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友達のチカコはなかなか賢い。
頭が良いんだなーと思わされる。
とりあえず他者を否定したりはしない。
あれ?と感じても、とりあえず相手の気持ちも重視する。
そうしていると、許容範囲が膨らむし、強くなるのだ。
考えを押しとおす事より、こうしている方が知佳子にとって気分がいいのかもしれない。
自分が傷つかなくてすむ方法、経験を糧にするやり方をよーく分かっている。

ひんやりした水曜の夕方は目を閉じて
ある日、宮崎に出張に向かった。
もちろんとてもあつい!
Uネックの上着の上から、スーツの上着。
汗をかいてサウナ状態になりすぎて、スーツのジャケットはめちゃくちゃに。
泊まり先にに入って、洗濯機もなかったのでLUSHの石鹸で洗濯した。
夜が明けてジャケットはストロベリーの香りがした。
上着が痛むのではないかと心配したけれど、それでも洗うべきだと思っていた。
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笑顔で話す兄弟と草原

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村上春樹の作品がおもしろいと、本好きの人々のプッシュを教えてもらって、読んだのがノルウェイの森。
これは、日本以外でも大勢の人に知られ、松山ケンイチ主演での映画化もされた。
彼の小説は、面白く、サクサクサクと読めてしまう所が好きだ。
直子と緑との中間でゆれる、ワタナベは、まるで生死の間でゆれているように感じる。
生と死という課題を無視しても直子も緑も魅力的だと思う。
しかも、ハツミさんや永沢さんやレイコさんという役が加わる。
全て魅力があり一風変わっていて陰の部分を持ちあわせている。
学生時代に読んだ本だが読みたいと思い、読んだことが何度もある作品。
主人公のワタナベは直子に、お願いをふたつ聞いてほしいと頼まれみっつ聞くと答える。
さすが村上春樹と思ったところ。
このことから、直子が幸せ者に見えた。

薄暗い大安の明け方に外へ
夏休みも半分ほどたった頃の夕暮れ時。
「カンけり」で鬼をしている少年は、とてもお腹がペコペコだった。
捕まえても捕まえても、カンを蹴られて捕虜が逃げるので、もう本日のカンけりは終わらないんじゃないかと途方にくれていた。
クタクタに疲れて家まで戻ると、扉を開ける前に、今日の夕飯が分かった。
とてもうまそうなカレーの香りに、少年は「よっしゃ!」と叫んだ。
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よく晴れた平日の晩は座ったままで

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娘とのコミュニケーションをとればとるほど、ひとり娘はものすごくなついてくれる。
生まれてすぐは、仕事がめちゃめちゃ多忙で、見ることが少なかったため、たまにふれあっても近寄ってくれなかった。
実の父だけどと悲しい胸中だったが、仕事の業務があわただしいからと見限らずに、よく、休日にお散歩に連れていくらようにした、抱えても、お風呂でも普通になった。
今日この頃、出勤で家を出る時、俺が行くことが寂しくて泣いてくれるのが幸せだ。

具合悪そうに跳ねる子供とあられ雲
今考えると、中学から高校卒業まで、心から向学心を持って生活していなかった。
周囲が向上心を持って学習していても、自身は指示された内容を仕方なく行うといった感じだったと思う。
なぜか、専門学校に入学してから私の好奇心をそそる分野の勉強に変わると、知識がスムーズに頭に入るようになった。
その後、働き始め、見習いを経て責任のある業務を任されると、今度は好き嫌い関わらず勉強せざるを得なくなった。
楽しくないなんて考える間もなく、何よりも知識を取り入れる期間が続いた。
学習続きの生活をしばらく体験すると、なぜか高校時代にしなかった学習を見直したいと思うようになった。
今では、同じように感じている人が周囲に何人もいる。

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